クレームとご意見とご提案の境目

30歳を過ぎてから強く自覚するようになったことがある。

それは、自分が”クレーマー気質”なのかもしれないということ。

お店や病院、子供が通う園などで、不都合なことがあったり理不尽な思いをした時、合理的ではないオペレーションを目の当たりにした時、その気質は発動され、一言指摘しておかないと気が済まなくなる。しかしそれは、(あくまで指摘しようとするその瞬間は)自分の怒りをぶちまけたいわけではなくて、「今後もこの場所を利用するであろう自分やその他大勢の人が、同じ思いをしなくて済むように」という正義感に基づいていて、”いまここで私が言わなければ”という気持ちが指摘する動機の7割を占めている。

しかし数時間後、気持ちが落ち着いたあとに思い返すと、正義感は3割で、その時の苛々を発散する目的が7割だったのではないか、と反省することも多々ある。

今日もそんな出来事があった。

久々に歯医者に行き、まずレントゲン室で写真を撮ることになった。

歯科衛生士(おそらく20代)から、手荷物をかご(洗濯物かごのような深めの多分ポリエチレン製のもの)に入れるよう指示があったあと、掛けていた眼鏡もそのかごに置くように言われた。先に置いた自分の手荷物は固めの素材のショルダーバックで、その中に眼鏡をそっと入れることはできないため、かごの底に置くしかないようだった。しかしそのかごの底面には小さなゴミらしきものが落ちていて、そこに直に眼鏡を置くことが憚られたため、「眼鏡置き場はないんですか?」と聞くも、ないとのこと。

続いて「手に持ってたらだめですか?」と聞くも手にモノは持てないとのこと。

 

ここで ”眼鏡を外すことが必要な場所なら眼鏡置き場くらい作ったらどうでしょう” という言葉が喉まで上がってきたが、いったん飲み込んで、諦めてかごに入れるしかない状況に悔しさを溢れさせながら眼鏡を外したあと、コートのポケットに入れることを思いつき、それは許可され、無事にかごに眼鏡を入れる必要はなくなった。

 

ここまで粘る自分も相当な社会不適合感があるが、歯科医院側も眼鏡を置く場所くらい用意すべきではないのか、私のように戸惑う患者が他にも大勢いるのではないか、という正義感から、眼鏡を置く場所を作ってほしい件についてどう伝えたら穏便に意見を受け入れてもらえるか、レントゲン写真を撮られている間ずっと頭を回転させていた。

 

ここで1つ懸念点が浮かぶ。

この意見を、自分の伝え方のミスにより歯科衛生士に”クレーム”と捉えられた場合、気を悪くした歯科衛生士のモチベーションが下がることによって、このあとの治療で自分が雑な処置を受ける可能性があるのではないか。

万全な治療を期すため、意見は帰り際に伝えることに決めた。

そして帰り際、「すみません治療と関係ないんですが・・」と声をかけ、「レントゲン室に眼鏡置き場があった方がいいと思います、荷物入れに直に置くのはちょっとあれなので・・」と、自分的にはかなり穏便な言い方で、クレームやご意見というよりも”ご提案”という形を装って伝えた。

それを聞いた歯科衛生士の目は冷たかった。マスクで目元しか見えないが、おそらく口角も下がっていたに違いない。そして一言、『ご意見として伺っておきます』と、改善される見込みほぼ0のトーンで言われたのである。

また悔しさと怒りがふつふつと湧いてきてしまう。まるでクレーマーに対応するときのトーンとセリフで返されてしまった。この人ではダメだ。絶対にもう一人捕まえて、意見をしっかりと受け止めてもらわないといけない!!私は躁状態になってしまった。

私は、ベテランそうな歯科衛生士が近くを通るのを待った。そして「すみません、」と話しかけ、同じように意見を伝えた。

すると思いがけない返事がある。

レントゲン室に眼鏡置き場は実は作ってあり、そのスタッフが知らなかっただけということだった。ベテランそうな歯科衛生士は、その情報がスタッフ全員に共有できていなかったことを詫びてくれた。

一気に気持ちがスーッと落ち着いたと同時に、こういうことは最初から人を選んで伝えた方がいいなと思った。

ベテラン歯科衛生士さんは仕事ができそうだったし、このあと本当にスタッフにこの情報を共有してくれそうな感じがしたので、2人目を捕まえてまで意見するのはやりすぎな気もしたが、やっぱり伝えて良かったと思った。

クレーマーと認識されないようにしながら、意見を受け入れてもらえる技術も磨いていかないといけないと改めて感じた出来事だった。